『片田舎のおっさん、剣聖になる』に登場する魔法剣士・フィッセル。
第2期第1話では、生徒たちの前でベリルに本気の一撃を放ち、それでも届きませんでした。
悔しいはずなのに、その表情はどこかうれしそうにも見えます。
淡々としている彼女が、なぜそこまでベリルを追い続けるのでしょうか。
外伝で描かれた少女時代と、第2期で先生になった現在から、魔法剣士を選んだ理由と師弟の絆を考えます。
- フィッセルが魔法剣士の道を選んだ理由と成長の軌跡
- ベリルを追い続ける想いと二人を結ぶ深い師弟の絆
- 弟子から先生へ変わる中で受け継いだベリルの教え
フィッセルはどんな人物?静かだけれど負けず嫌い
フィッセル・ハーベラーは、王国魔法師団のエースと目される魔法剣士です。
ベリルの道場で剣術を学び、現在は剣と魔術を組み合わせた独自の戦い方を得意としています。
話し方は淡々としていて、感情を大きく表へ出すタイプではありません。
けれど、その静かな姿だけを見ていると、フィッセルという人物の熱さを見落としてしまいそうです。
外伝『片田舎のおっさん、剣聖になる外伝 はじまりの魔法剣士』では、少女時代のフィッセルは負けず嫌いで、誰よりも稽古を重ねる努力家として描かれています。
強くなりたい。
負けたくない。
そして、もっと上へ行きたい。
フィッセルを動かしているのは、まず何よりもこの強い向上心なのでしょう。
ベリルへの憧れも、その気持ちと結びついています。
「先生が好きだから追いかける」というだけではなく、
ベリルという圧倒的な存在に出会ったことで、自分がどこまで強くなれるのかを知りたくなった。
そんなふうにも見えます。
クルニのように元気いっぱいに表へ出すわけでもなく、アリューシアのように大きな行動で想いを示すわけでもありません。
フィッセルの熱は、静かです。
でも、その静かな熱こそが、長い時間をかけて彼女を強くしてきたのではないでしょうか。
なぜ魔法剣士になった?ベリルに届かなかった経験が示したもの

フィッセルを考えるうえで大きなポイントになるのが、なぜ「剣士」ではなく「魔法剣士」の道へ進んだのかということです。
外伝では、フィッセルがベリルの道場で剣を学びながら、やがて剣と魔法の両方を使って高みを目指していく姿が描かれています。
ここで大切なのは、「ベリルに届かなかったから魔法剣士になると決めた」と単純に断定しないことだと思います。
ただ、ベリルとの間に大きな力の差があることを知った経験は、フィッセルにとって、自分の強さを考え直すきっかけのひとつにはなったのではないでしょうか。
「先生と同じように剣だけを極める」そんな道もあったはずです。
けれどフィッセルは、ベリルから教わった剣を土台に、自分が持っている魔法の力まで使う道へ進みました。
つまり、「ベリルの剣を再現することではなく、自分自身の剣を探し始めた」
ここが、フィッセルの成長を考えるうえで重要だと思います。
ラジオでも、ベリルの弟子たちは同じ先生から学びながら、誰一人として同じ戦い方にはなっていないことが話題になっていました。
アリューシアにはアリューシアの剣があり、スレナにはスレナの戦い方がある。
そしてフィッセルは、剣と魔法を組み合わせました。
ベリルから教わったものを捨てたわけではありません。
むしろ大切に残したまま、自分が持っているものを加えています。
ここには、「先生と同じになること」と「先生から学ぶこと」は違うという、この作品の師弟関係の面白さが見えます。
本当に先生を追い越したいのであれば、いつまでも先生の真似だけをしていてはいけない。
いつか、「先生ならどうするだろう」から、「自分ならどうするか」へ進まなければならない。
フィッセルにとって剣と魔法を組み合わせることは、その最初の一歩だったのかもしれません。
フィッセルはなぜベリルを追い続ける?

そして第2期第1話。
今では王国魔法師団のエースと目され、自分の生徒まで持つようになったフィッセルが、再びベリルと立ち合います。
しかも、生徒たちが見ている前です。
フィッセルは手加減しません。
自分が得意とする魔法まで使い、渾身の一撃を放ちます。
今の自分が、どこまで先生に届くのか。
それを確かめたかったのではないでしょうか。
けれど、届きませんでした。
そこで見せたフィッセルの表情が印象に残ります。
悔しそうなのに、少しうれしそうでもある。
この表情を考える鍵になるのが、外伝に登場する、「ベリルと同じ世界を見る」という目標です。
「同じ世界を見る」とは?
これは単に、「ベリルより強くなる」という意味ではないのでしょう。
子どもの頃、フィッセルにとってベリルは見上げる先生でした。
自分には見えないものが見えている。
自分にはできないことができる。
だからこそ、追いかけたくなる。
その人と「同じ世界を見る」というのは、「いつか、自分もそこまで成長したい」という願いだと思います。
先生に褒められたい。
努力を認めてほしい。
自分がどこまで来たのか見てほしい。
そしていつかは、ただ後ろを追う弟子ではなく、一人の剣士として隣に立ちたい。
フィッセルが欲しいのは、勝敗だけではないのでしょう。
「先生、自分はここまで来たよ」と示せる場所まで行くこと。
それが、ベリルを追い続ける理由のひとつなのだと思います。
「まだ、この人を追いかけられる」
では、なぜ技が届かなかったとき、どこかうれしそうに見えたのでしょうか。
追いつきたい。
でも、まだ追いかけていたい。
フィッセルが少しうれしそうに見えたのは、「先生はまだ、自分の先にいる」と確認できたからなのかもしれません。
ベリルが強いままでいることは、単に尊敬する先生が強くてうれしいというだけではありません。
フィッセル自身にとって、まだ先へ進む理由があるということでもあります。
まだ、この人を追いかけられる。
もっと強くなれる。
次はもう少し近づけるかもしれない。
そう考えれば、あの敗北は悔しいだけのものではありません。
むしろフィッセルにとって、次へ進むための目印にもなります。
もしかするとフィッセルが手放したくないのは、ベリルそのものだけではなく、ベリルに追いつこうとして努力し続ける自分なのかもしれません。
目標があるから、前へ進める。
届かない背中があるから、自分の限界を決めずにいられる。
そう考えると、ベリルはフィッセルにとって単なる憧れの師匠ではなく、「もっと強くなりたい」という自分自身の気持ちを引き出してくれる存在でもあるのでしょう。
遠慮がないのは、信頼しているから?
ラジオでは、フィッセルはベリルの弟子たちの中でも特に、先生に対して遠慮がないのではないかという話も出ていました。
これは、面白い関係です。
あれほど尊敬しているのに、必要以上にかしこまらない。
本気で挑む。
言いたいことも言う。
そして時には、ベリルが思わずのけぞるような距離感で接する。
そこには、「何をしても、この人との関係は簡単には壊れない」という信頼があるのかもしれません。
フィッセルにとってベリルは、評価してもらいたい相手であると同時に、全力を見せても大丈夫な相手なのでしょう。
負けても、また挑める。
本気でぶつかっても、受け止めてもらえる。
だからこそ、何度でも全力で向かっていける。
「安心して負けられる」というのは少し不思議な言い方ですが、それほど信頼できる相手がいることは、成長するうえで大きな支えになるのではないでしょうか。
弟子から先生へ|ベリルから受け継いだもの

第2期では、フィッセル自身も先生になりました。
ここで、彼女の物語はもう一段進みます。
剣が強いことと、人に教えられることは同じではありません。
最初のフィッセルは、教えることに苦戦します。
自分なら感覚でできる。
でも、生徒には伝わらない。
どう説明したらいいのか。
どうすれば相手が理解できるのか。
そこでフィッセルが思い出すのが、自分がベリルから教わっていた頃のことです。
ラジオでも、最初は教え方が分からなかったフィッセルが、道場時代を思い出すことで少しずつ変わり、第3話では何かをつかみ始めたことが語られていました。
ここで、魔法剣士になったときと同じ構造が見えてきます。
剣士としてのフィッセルは、ベリルから教わった剣+自分の魔法で、自分だけの戦い方を作りました。
そして先生になった今は、ベリルから受け取った教え+自分自身の経験で、自分なりの教え方を探し始めています。
つまりフィッセルの成長は、ベリルを上手に真似できるようになる物語ではありません。
受け取ったものを、自分にしかできない形へ変えていく物語なのです。
剣でもそうだった。
先生としてもそう。
これは、「模倣」から「継承」へ進んでいるとも言えるでしょう。
ベリルと同じ戦い方をしなくても、ベリルから剣を受け継ぐことはできる。
ベリルと同じ教え方をしなくても、ベリルが大切にしていたものを次へ渡すことはできる。
そして自分も先生になったことで、フィッセルはこれまでとは違う角度からベリルを見るようになったのではないでしょうか。
子どもの頃には、「先生はすごい」としか見えなかったことも、自分が生徒を持てば、
「あのとき先生は、何を考えていたのだろう」
「分かっていて、あえて言わなかったのかもしれない」
と想像できるようになる。
強さでは、まだ先を走るベリルを追いかけている。
けれど教師としては、少しずつベリルの隣へ移動し始めている。
ここに、「同じ世界を見る」という言葉の新しい意味が見えてきます。
剣士として同じ高さに立つことだけではない。
同じように誰かを教え、悩み、成長を願う。
「同じ責任を背負うことで、初めて見える景色もある」
フィッセルは今、かつて見上げていた先生が見ていた世界へ、別の方向から近づき始めているのかもしれません。
『片田舎のおっさん、剣聖になる』フィッセル考察のまとめ
フィッセルの物語は、ただ「ベリルに追いつく物語」ではないのでしょう。
ベリルから教わった剣に魔法を加え、自分だけの戦い方を作りました。
そして今度は、ベリルから受け取った教えに自分自身の経験を加え、自分なりの先生になろうとしています。
「先生から受け取ったものを、自分の形に変えていく」
それこそが、フィッセルの成長なのではないでしょうか。
まだベリルは、自分の先にいる。
だから、まだ追いかけられる。
けれど振り返れば、今度はフィッセルの背中を見ている生徒たちがいる。
追う弟子から、背中を見せる先生へ。
フィッセルがいつか「ベリルと同じ世界を見る」とき、その言葉がどんな意味に変わっているのでしょうか。
これからの成長が、ますます楽しみになります。
ラジオ第2回の記事・ベリル先生、フィッセルとまたまたしゃべる!笑いと癒しのラジオ第2回レポ『片田舎のおっさん、剣聖になるⅡ』:https://kiyoran-blog.com/archives/651
WEBラジオ第2回アーカイブ(YouTube/NBCUniversal Anime/Music):https://www.youtube.com/watch?v=4ExZ3e2F8jg&list=PL8qLxmibSZEOH6pV4WzvPerqjXwIOWy7p&index=4
『片田舎のおっさん、剣聖になる外伝 はじまりの魔法剣士』第1巻|SQUARE ENIX:https://orig-magazine.jp.square-enix.com/top/comics/detail/9784757597754/
アニメ公式サイト:https://ossan-kensei.com/
アニメ公式X:https://x.com/ossan_kensei
- フィッセルは静かながら強い向上心を持つ努力家
- ベリルとの出会いが自分だけの強さを探すきっかけに
- 剣と魔法を組み合わせ、自分独自の戦い方を築いた
- ベリルを追い続けるのは「同じ世界を見る」ため
- 届かない背中があることが次へ進む力になっている
- 遠慮なく挑める関係には深い信頼が感じられる
- 第2期では弟子から先生へと新たな成長を見せる
- 受け取った教えを自分の形へ変える姿がフィッセルの魅力!


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